祖母を軽蔑しているという話。
看護学生のあんこです。
題名の通りの話。
わたしは祖父母と同居しているけれど、祖母を軽蔑している。
嫌いではない。しかし祖母をかわいそうだと思い、馬鹿だとも思う。
まずわたしは祖父が嫌いだ。
祖父はわたしが物心ついた時から交通事故で脳を損傷しており、体が不自由で怒りっぽい性格をしていた。
母が生きていた頃から祖父は家族と怒鳴り合いの喧嘩をすることが多々あり、母が死んで十数年経ち、祖父母共に認知症になった現在は毎日のように夫婦で怒鳴り合いの喧嘩をしている。
お互い認知症であるため祖父母は喧嘩の内容をすぐに忘れ、明くる日も明くる日も似たようなことで喧嘩を始める。
そしてわたしはいつもそれを二階から聞かされている。
だからわたしの部屋から映画や音楽や動画の音が途絶えることはない。
一時期は祖父母と顔を合わせるのが嫌で家に帰りたくないと思っていたこともあった。
新型コロナウイルスの影響でほとんど家から出られないと、ますます祖父母が嫌いになる。
静かな家で過ごすことができるのは祖父母がデイサービスに行っている間だけだ。
日ごろから祖父は一切家事をすることがなく、いつも椅子にふんぞり返って座り、祖母にあれこれとくだらないことを命令をする。
コーヒーを淹れろ、カーテンを閉めろ、テレビをつけろ。
そして祖母はそれに粛々と従う。
コーヒーもカーテンもテレビも自分でやらせればいいのにとわたしは祖母に言うが、祖母は要領を得ない返事をして従い続ける。
わたしが「自分でやれ」と祖父に言えば、祖父はボケ、バカ、アホとわたしを怒鳴る。
思うに、わたしが結婚に対してよくない印象を持っているのは、アセクシャルで元来恋愛沙汰に興味がないと言うこともあるが、幼少の頃からこのような光景をずっと眺めてきたからなのかもしれない。
十数年前に母が死んでいるわたしにとって、もっとも身近な夫婦が祖父母なのだ。
わたしから見れば祖父母は愛し合っているようには見えなかった。祖父の命令を大人しく聞いて、ただの主人と奴隷ではないかと思っていたし、いまでもそれは変わらない。
祖母の誕生日に食事へ出かけることすら拒否する祖父が、どう祖母を愛しているというのだろうか。
家庭をもった結果がこれならば、わたしは結婚なんて奴隷契約はしないほうがマシだと思っている。
わたしは祖父の命令に従う祖母が本当に理解できない。
テレビの人に向かって「汚いババア」「ボケ」と叫び、出された食事に手をつけずに用意するのが遅いと怒鳴り、幾度も徘徊して警察の世話になっている祖父。
持病を悪化させて病院に運ばれ、そこでも怒鳴り散らして病院の方々に迷惑を何度もかけたのも一度や二度ではない。
それでも祖母は祖父が席について食事を始めるまでなにも口にしようとしないし。
祖父が取って来いと言ったものをなんでも取ってくる。
祖父に探せと言われ、仕舞った場所を誰も覚えていない書類を家中ひっくり返して探し、挙句見つけられなかったら「泥棒」と祖父に怒鳴られる。
そんなもの無視して全部祖父にやらせておけばいいのに。そう言っても祖母がわたしの言葉を聞くことはない。
なぜ祖母はこうまでして祖父に従順なのだろうか。
毎日のように喧嘩をしても、30分もすればそれを忘れてまた甲斐甲斐しく世話を焼き始めるのだ。
わたしはそれが祖父母の生きていた古い価値観と認知症の産物だと、今更どうしようもないものだとなんとなくわかってはいる。
わかってはいるが、わたしは祖母を馬鹿だと感じている。
今よりも尚、女が踏まれた時代を生きた女の姿が祖母なのだと感じている。
持病があるにもかかわらず、椅子にふんぞり返って座り、昼間から「ビール」と言う祖父。
それに大人しく従って冷蔵庫からビールを取り出しプルタブまで開けてやる祖母。
それをわたしはどうしようもなく軽蔑している。