アセクシャルについて。
看護学生のあんこです。昨日ブログ更新しなかったな。
まあいいや1日複数投稿したこともあったし。
今日はアセクシャルというものについて書いていこうと思います。
まずアセクシャルってどういうものなのってことについて。
無性愛(むせいあい、英: asexuality)とは、他者に対する性的な惹かれ(sexual attraction; 性的魅力を感じること)の欠如、または性的な行為(sexual activity)への関心や欲求が少ないか、あるいは存在しないことである。無性愛の性質を持っている人のことをアセクシュアル[、Aセクシュアル、無性愛者(英: asexual エイセクシュアル /eɪsɛkʃʊəl/、アセクシュアル /æsɛkʃʊəl/)という。
引用元:無性愛 - Wikipedia
ウィキペディアではこんなふうに言っています。
要するに恋愛感情や性欲を持たない人のことですね。
更にアセクシャルにざっくりくくられるものとして、
・ノンセクシュアル(恋愛感情はあるけどそこに性欲は付随しない)
・アロマンティック(他人に性的欲求を抱くけれど恋愛感情はない)
といったものがあるのかなと思います。
また、他者に対して性愛を抱く性愛者、抱かない無性愛者の中間に位置するセクシュアリティとして半性愛(デミセクシャル、デマロマンティック)といったものもあるそうです。
アセクシャルの方がお話ししている動画があるのでこちらも紹介しておきます。
わたしは他人に対して恋愛感情を抱いたことがなく、また、恋愛をしたいと思ったこともありません。
性的欲求も人並みにはありますが、それが特定の個人に向くこともありません。
そのためわたしは自分のことをアセクシャル、あるいはアロマンティックであると自認しています。(アセクシャルが性的欲求を持つか否かがよくわからんため)
また、以前に読んだものですが、こちらはとても共感できるものでした。
自分がAセクシャルっぽいことはどうでもいいんだけど、「世の大半のひとびとがそうではないこと」がひたすら衝撃だったことのログ - Togetter
この、「別に実際に生きている人々にはそこまで恋愛感情は搭載されていないと本気で思ってた」というくだりが本当に共感できて、初めて読んだときは「それ〜〜!!!!!」と心の中で叫びました。
「恋愛感情」とやらはフィクションでしか描かれてないし、じゃあこれは物語特有の誇張表現なんじゃんと長らく本気で思っていました。
というより今もあまり周りと積極的に恋愛に関する話をしないので半分くらいそう思っています。キュンキュンドキドキって誇張じゃないの?
意中の相手と目が合ってキュンとする、たまたま手と手が触れ合って心拍数が跳ね上がる、会いたくて会いたくて震える、いつかこれがわかる時が来るんだろうとのほほんと暮らしていましたがいつまで経ってもそんな気持ちになることはありませんでした。
初めてわたしがアセクシャルという言葉を知ったのは、大学1年か2年のころ。
中学高校のあたりから周りの人たちが彼氏だの彼女だの言い始め、ちょうど2chやニコニコ動画の文化にかぶれていたわたしはノリで「リア充爆発しろ」とかいっていましたが、正直なんで爆発しないといけないのかよくわかっていませんでした。
なぜリア充が妬ましいのか、なぜ自分をリア充と思っていないのか、わたしたちはネット上で毎日推しや面白いコンテンツに触れて楽しく遊んで満たされているのに、恋人がいないことのなにが苦しいのか、と考えていました。
わたしはいままで生きてきて恋人がいたことも欲しいと思ったこともありません。
「そもそも恋人ができたらなにをするの?」
というところから始まります。
遊びに行くなら友達とで十分だし、なんなら1人でも行けるし、学校へ行ってバイトしたら後の時間は自分のために使いたいし、特に性的な行為をすることに魅力を感じないし、わざわざ特定の他人のことを毎日考える時間を割くのが億劫と感じるわけです。
なんやかんや今は楽しく生きていますが、大学1年間の当時は「いまだに恋愛したことないのはなにか変なんじゃないか」「男に惹かれたことはないけど、かと言って女に惹かれるわけでもない。これっておかしいのかな」と思っていました。
また、どっぷり腐女子をしていたわたしですが、「何か推しカプの小説を書いてみたい!」と筆を取ってみたはいいものの、愛し合う2人がどんな心の動きをするのかが全くわからず、筆がちっとも進まず困ったことがありました。
そこでわたしは、「恋人 いらない」「恋愛 したことがない」「恋愛感情 わからない」「恋愛感情 欠如」などいろんな言葉でインターネットを検索してみました。
ただ、それで出てきたサイトの多くは、「過去のトラウマを乗り越えて恋愛を楽しもう!」「こう考えれば恋愛ができる!」「出会いを増やそう!」などといった結論で締め括られるものが多く、コレジャナイ感が凄まじくありました。
恋愛感情はないけどべつにそれで困ってはいないし、特に恋愛がしたいと思っているわけではないからです。
なんだかなあと思いつつ、そうしていろいろと検索して出てきたのがアセクシャルという言葉。
その定義や実際にアセクシャルである人のブログを見て、わたしは衝撃を受けました。
友達同士で恋バナが始まった時の、みんな白い服を着ている中自分だけ赤い服を着ているような居心地の悪さ。
好きな人いる? と聞かれた時に、なんとなく当たり障りのない男子を頭の中で弾き出して好きだと言う申し訳なさ。
この感覚に共感してくれる人がいる。似た経験をした人がいる。
自分のセクシュアリティについて同じ悩みを抱えている人が他にもいることを知り、すとんと肩の荷が落ちたような感じがしました。
ちなみに。アセクシャルで腐女子ってどうなんだと言われそうですが、わたしは読む分にはいいんですよね。
推しカプに限らず、フィクションの恋愛描写に対しては「この2人に幸せになってもらいたいな〜!」と感じるので。
ただ、書くとなると恋愛による心の動きがわからないため難しくなります。
また、キャラクターに恋をする所謂「夢」という概念もよくわかりません。
けっこう文章がとっ散らかってきちゃったので今日はこのへんでおしまいにしますが、またなんか書くかもしれません。
明日もブログ書くぞ