AnkoKuromoriのブログ

日記とか感想とかかく。

反出生主義について。

看護学生のあんこです。3日ブログが続きました。えらいなあ。

 

最近SNSでも「反出生主義」という言葉を見かける機会が増えてきました。

わたしも反出生を掲げる1人です。

 

わたしの考える反出生とは、

①同意の取れない相手との性行為がレイプとみなされるように、赤ん坊に同意を取ることができないのに子を作るという行為は許されるべきではない。

②出生は完全なる親のエゴによって行われ、子供は生まれたくて生まれたわけではない。ならばせめて子の好きなタイミングで苦痛なく死ねる仕組みが必要だが、現在このシステムが存在しない。よって安楽死のシステムが成立するまで出生は許されない。

③世界には貧困や差別、災害や事故といった不幸な出来事が多く存在し、これらの出来事が完全になくならなければ子を生むべきではない。

④繁殖をしたい、と思ったときになぜ繁殖したいと思ったのか一度考えるべき。「産褥による体への負担は交通事故レベル」という言説もあるが、なぜそこまでのデメリットを負ってまで新たな命を作るのか。養子ではいけないのか。

 

といったようなものです。

ここで勘違いして欲しくないのは、「反出生主義とは妊婦を加害する考え方ではないこと」、そして「反出生主義を他人に押し付けることは不可能であるということ」であること。

 

わたしたちがどれだけ「出生は許されない行為だ」と叫んでも、世の出生主義者のほとんどは滞りなく出生するだろうし、反出生主義者の言葉に非妊を促す何かすごいビタミンが含まれているわけでもない。

 

反出生主義者が出生主義者に加害をしたという例はわたしは見つけることができなかったけれど、きっと通り魔の反出生主義者が殺した妊婦の数より、配偶者からの暴力により3日に1人死ぬ女性の方が多いだろう。

 

反出生主義者はそのへんにいる繁殖可能な人々を誘拐してきて避妊手術を行うということもしない。

「すべての妊婦は堕胎しろ」と主張する過激な反出生主義者にはわたしはまだ出会ったことがないし、多くの反出生主義者はもうすでに生まれてしまった命に対してはとても優しい人ばかりだと感じます。

 

少子化が進む」「人類が滅ぶ」といった反論もたびたび見かけますが、反出生主義者からしてみれば「だからなんだ」である。

差別や犯罪などといった避けられない不幸のある世界に生まれずに済むんだからむしろそれでいい、そもそも人類が滅んで誰か困るの?というのが多くの反出生主義者の考えです。

 

そして、「反出生主義ならなんで生きているのか」というのもまた見飽きた反論である。

 

反出生は反生存じゃないぞ!!!!!!!

 

「生まれたくなかった? じゃあ死ね!」と言ってしまえる人は、繁殖して自分の子供が同じことを言ったときにどうするのだろうか。

 

また、「反出生主義者は不幸な人生を歩んできたからそんなことを言うのだろう」とも言われるがそうではない。

実際わたしはめちゃくちゃ楽しい人生を過ごしています。わたしがエビデンスだ。

 

それなのに反出生主義を掲げるのは、世界にはまだ差別があり、その中に子供を産み落とすのはあまりにも残酷であること感じること、すべての子供がわたしのように楽しく人生を生きられるとは限らないこと、死にたいと思ったときに自由に死ねる世界じゃないこと、そもそも妊娠出産自体がデメリットしかないと感じること、などといった理由があります。

 

いろいろ書いてみましたがまだまだわたしも勉強中であり、いろんな考えの人と話をしてみたいなと思っています。

 

またなんかそのうち書くかもしれません。

あしたもブログ続くといいな。

看護学生のあんこでした。